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【最後の将軍】司馬遼太郎が描く、将軍慶喜の最後の姿!

司馬遼太郎著『最後の将軍―徳川慶喜―』

 

あらすじ

三戸藩主、斉昭の子七郎麿として性を受けた慶喜は、多芸を極め、一橋家の養子となり将軍となる。第十五代、そして歴代最期の将軍となる慶喜だったが、彼の目には徳川幕府の崩壊の様がありありと見えていた。

 

 

本書『最後の将軍』における徳川慶喜という人物は、非常に優秀な人物でした。

 

文武両道、武芸百般を身に付け、常人の及びも付かないほど先を見通す事に長けていました。

 

そんな慶喜ですが、先代将軍徳川家茂が亡くなり、後を継ぐとなった際、周囲からの推薦に最初は首を縦に振りませんでした。

 

この時代、将軍職というのは誰もがなれるものでは当然なく、慶喜の他にも一応は次代将軍候補は存在します。

 

それでも、自分に白羽の矢が立ったのですから、当然引き受けるものだと思われるかもしれません。

 

しかし、慶喜は近臣の説得にも応じず、否と首を横に振り続けます。

 

一旦は徳川幕府の将軍としてではなく、徳川家の家長としての跡継ぎを引き受けましたが、しかしこの時代において、徳川家の家長と幕府の将軍はほぼ同じもの。

 

時は動乱の幕末時代。ペリー来航以降、開国か佐幕かを巡り、日本各地で争いが絶えませんでした。そんな時代において将軍になってしまった慶喜は、どちらに転ぶにせよ、日本は今のままではいられない事を悟っていました。

 

そもそも、慶喜は将軍になる事を嫌々ながらに引き受けました。その背景には、やはりこうした幕末という時代、時世の混乱というのがあるのだと思います。

 

けれども、一度将軍となってしまったからには何もせず、というわけにはいきません。日本の長として、あれこれと手を尽くしますがうまくはいきませんでした。

 

それというのも、慶喜が幕府の内、外から嫌われていたからです。

 

この辺りは、慶喜に同情したい気持ちになりますね。なぜなら、その嫌われている理由というのが愚かの一言に尽きるからです。

 

しかし、そうして手を尽くしていく慶喜でしたが、次第に追い込まれていきます。

 

本書における慶喜は、常に歴史の上において、自分と徳川家というものがどういうふうに書かれるか、後世に伝えられるかということを意識していました。

 

慶喜は徳川の世が長くは続かない事を見越していましたし、何よりその事を憂いていました。徳川のために知恵を絞り、行動を起こしていました。

 

けれど、それを周りの人間は裏のある事と断じて、協力的ではありませんでしたし、慶喜の足を引っ張るような行動を取る人間もいます。そのあたりが、腹立たしい部分でした。

 

かくして、歴史は大政奉還、王政復古の大号令と進んでいき、明治維新が成し遂げられます。

 

その二つを突き付けられた時、慶喜はなんと思ったことでしょう。本書を読んだ印象としては、『肩の荷が下りてほっとした』というところでしょうか。

 

というわけで、司馬遼太郎『最後の将軍』でした。もし、興味を持っていただけた、と言いう方がいましたら、ぜひ下のAmazonリンクからお買い求めください。

 

それではまた、次回お会いしましょう。さよなら。


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