相坂剛著『鏡影劇場』
あらすじ
スペインの都市マドリードで発見された「フェルナンド・ソル」の楽譜。しかしその裏には、とある歴史的文豪の生涯を知るに非常に重要な事柄が列挙された文章があった。その文書をめぐり、およそ数千年前と現代を繋ぐ壮大なミステリの幕が上がる。かの文豪は死の間際まで、何を考え、どう行動したのか。そして一見すると何の意味も持たない古文書が、現代にまで流れ着いたわけとは何か。数奇な運命をたどった文豪の謎に迫りつつ、登場人物の抱える謎や問題も解きほぐしていく。
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まず始めに、本書の著者は相坂剛氏となっています。けれど、小説の冒頭に相坂氏は自身が本書の執筆者ではないと明確に一言を入れています。実際の筆者が誰なのか、全くと言っていいほど謎のヴェールに包まれているのです。
ではなぜ、著者は自らの正体を隠し、原稿を相坂氏に託したのか。その謎は明かされませんでした。
本書、『鏡影劇場』は18世紀ドイツで活躍した文豪、音楽家である『E.T.A.ホフマン(エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン)』の生涯のとある時期を切り取った古文書が発見されるところから始まります。
ちなみに、軽くネットで調べたところによると『E.T.A.ホフマン』は実在する人物のようです。
本書はそんなホフマンの死から数百年という長き歴史を渡って、日本に流れ着いた古文書が主人公・古閑紗帆の手によって恩師・本間鋭太の許へと運ばれて行き、展開していきます。
ドイツ文学の研究者である本間は古閑の依頼により、件の古文書の解読を開始します。
その解読作業が本書の主になってきます。しかしそれも決して単調、というわけでもなく、本間の手によって解読された古文書の内容はホフマンを知る、知らないに関わらず、読者をひきつけてしまいます。
ドイツの文豪がたどった運命は決して順風満帆ではなく、むしろその嵐の多さやホフマンという人物の人柄を本書を通じて知っていく事で、更に僕たちを引き付けて離さない事でしょう。
ここで興奮のあまりうっかり結末まで語ってしまう前に、ちょっとだけ終わりの部分に触れてみたいと思います。
本書はホフマンと彼の周囲の人物の人生、そして現代において解読作業を行っている独文学者の本間鋭太と古閑紗帆とその周辺の人物とをリンクさせて描かれています。
ホフマンの人生を読み解いていくと、おのずと本間の抱える謎も明らかになっていく事でしょう。その結末は奇想天外というよりもどちらかというと納得感が強いものになっていると思います。
本書の特徴としては、小説という体を取っているにも拘らず結末部分が袋綴じ仕様になっている事です。その袋綴じ解いて、結末を知るという構図になっています。
その袋綴じの部分にも、胸躍る文言が書かれていましたので、ぜひそこも読んでみて欲しいと思います。
更に、最後まで読み終えたなら、なぜ本書が『鏡影劇場』というタイトルなのかを理解する事になるでしょう。
そうそう、そして何よりも、本郷氏に巻末の解説にも軽く触れておかなければならないでしょう。
一読すると、まるで掌編小説かのような印象を受けるあの巻末は、あれだけで一個の小説として出版してもいいのでは?と思ってしまうほどです。
さて、いかがでしたでしょうか?もし興味をもっていただけましたら、ぜひお手に取ってみてください。
それではまた、次回お会いしましょう。さようなら。