2012年に放送されたアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』の中で、プライベートや仕事でも携帯電話や端末を手放せないのに自分はサイボーグではないと言われても説得力がない、といった趣旨の指摘が登場します。
これを言ったのは、全身をほとんど機械に置き換えた男性で、おおよそ考える限りの死を超越した世界初の全身サイボーグ化に踏み切った人物として取材を受けていました。
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記者は記事を書くために携帯端末あるいはレコーダーなどを所持しています。作中では紙やペンなどが登場する事は稀で、本に関しても電子書籍などがメインです。
これは極端な例であり、上記のアニメが近未来を描いたSF作品だからだろうと思われる方も多いと思います。また、僕もまだ当面の間は全身を機械に代替するような人物は表れないし、技術的にも倫理的にも不可能だろうと思います。
けれども、現在では脳の電気信号を伝って義手を動かしたり声を失った人のかわりに言葉を話したりする機会は存在します。
そうした技術は次々に登場していて、倫理的な問題さえクリアされれば、何の憂いもなく前進を機械に代替する人間だって出てくる可能性は多いにあります。というか、僕はそんな時代がくるのも時間の問題だろうと思っているのですが。
僕自身は永遠の命とか、次世代の人間とかにはあまり興味はないのですが、やはり一人の男として、また人間としては新しい技術やテクノロジーの登場にはわくわくを禁じえません。
さて、これを読んでいるみなさんはポストヒューマンという言葉をご存じでしょうか?
簡単に言えば、現在の我々とは違った新しい人類という意味で使われます。
とはいえ、見た目から違うとか、超能力者が生まれるとか、そういう事ではありません。
新しい技術やテクノロジーを受け入れ、それを使いこなせる人達、というニュアンスの方がいくらか正しいでしょう。
一昔前。10年ほど前を思い出してください。
スマートフォンが普及するはるか昔、まだみんなガラケーでした。当時の僕はまだ中学生かせいぜい高校一年生だったので、やっとガラケーを使い始めたくらいの頃です。
なかなか使いこなすのに苦労しました。メールひとつ撃つのに五分もかかっていました。最初はどうやったら文字が打てるのか、電話をかける事ができるのかがわかっていなかったのです。
恥ずかしながら、僕は機械音痴な人間です。今でこそわくわくする、なんて言ってますが、昔は機械を触るのも嫌でした。
中学生までは別段携帯電話なんてなくても平気だったので、正直必要ないと思っていたのですが、今ではスマートフォンをそれなりに活用しています。
ラインなどのメッセージアプリやメルカリといったフリマアプリ。歩数計の役割を果たしてくれるアプリやスマホゲームなど、割合多くのアプリをインストールして、状況に応じて使い分けています。
つまり、現在ではスマホは僕の生活にはなくてはならなくなったのです。それに、今この記事を書いているパソコンもそうです。PCの操作は苦手だったのですが、こうしてブログを書くまでにいたりました。ブラインドタッチもそこそこうまい方だと思います。
それにYouTubeでの活動もそうです。カメラやマイクだけでなく、編集ソフトも使いこなさなければなりません。
そうして、デジタルデバイスは僕の生活の一部となっていったのです。
これが、僕が全身とは言わずとも、生活の一部を機械化していった概歴です。
要するに何が言いたいかというと、デジタルデバイスは僕にとって体の一部、なくてはならない存在だという事です。これをサイボーグ化と呼ばずになんと呼ぶのでしょう?
僕は自分が次世代の人間、つまりポストヒューマンだと言うつもりはありません。しかし、まるっきり機械化されていない生身の人間だとも胸を張れないのです。
今はまだ、それほど目立った変化はありませんが、論理的な部分だけで言うのなら、僕達は全身サイボーグまでもう目と鼻の先まで来ているのです。
未来を考える時には、こうした事も考えてみてはいかがでしょうか?
もしかするとサイボーグになる事で今とは違う世界が見えるかもしれませんよ?
それでは、今回はここまでにしておきたいと思います。それではっ。