小川洋子著『博士の愛した数式』
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一言で表すのなら、チョコレートクッキーの缶の中にあめ玉がひとつ転がり込んでいるようだ、とでも言えばいいのでしょうか。茶色に統一されたクッキー缶に鮮やかなあめ玉が入り込む事で、どことなく華やかさと親近感が生まれているようでした。
俘虜の事故に遭い、脳に障害を負ってしまい、八十分しか記憶を保持できなくなってしまった博士。数学をこよなく愛し、数とともに生きる。そんな彼と、彼が所持する数学に関するすべてがチョコレートクッキーの缶。そして、そんな博士のもとへ家政婦としてやってきた“私”とその息子のルートがあめ玉です。
博士は八十分しか記憶を保持する事ができません。なぜそうなってしまったのか、詳しく語られる事はありませんし、また必要もないのです。
なぜなら、理由が何であれ事実が変わる事はありませんし、現実として博士はその状態で生きていくしかないのですから。
博士は数学を愛していました。ほとんど、数学と結婚している、といってもいいくらいに。作中で博士が口にする「神様の手帳を覗き見している」という言葉は、おそらく数学をたしなむ人なら実感する感覚なのでしょう。
長年家政婦として働いてきた“私”は数学が苦手です。この点は、僕も同様で数学が苦手なのでかなり親近感がありました。そんな“私”が博士から数学について話をしてもらうたび、その美しい学問に惹かれていく様子を自分に重ね合わせてしまいます。
そういう意味では、どちらかというと数学に馴染みのない人へ向けた物語なのかもしれません。
学生時代にこんな人と出会っていれば、と悔やまれるような人物ですが、それはそれとして数学はいつからだって勉強できます。これは他の学問も同様です。
僕も本書を読んで、というわけではないですが、少し学びなおしてみようかな、なんて思ったりもしています。
もし、僕が数学という「神様の手帳を覗き見」する事ができるようになったなら、どんな世界が広がっている事でしょうか。
それは少しだけ、わくわくするような事です。
それでは、また次回お会いしましょう。さようなら。