プラスアルファの本棚

僕の好きな事を勝手気ままに紹介します!youtueもやってます!


スポンサードリンク

【書評】時代の先を見据え、時勢に抗おうとした男の最期を見よ!司馬遼太郎『峠』

こんにちは。プラスアルファでございます。

 

今回も一冊?読み終えましたのでご紹介を。

 

今回ご紹介するのはこちら。

 

司馬遼太郎著『峠』

 

長岡藩家老河井継之助。時代を見据え、やってくる新時代に備えて彼の愛する長岡藩を一国たらしめようとした男の夢と道程を描いた物語。

 

上中下の三巻に別れているので、正確には一冊ではないのですが、まあ細かいことはいいですね。

 

さて、この『峠』。一体どんな話なのかと言いますと。

 

越後長岡藩に生まれ、そこで育った武士の子、河井継之助。彼が生まれたのは幕末の動乱期。会津藩が京都守護職にされ、壬生浪士組が結成。新選組が組織されたり坂本龍馬が四方八方を飛び回ったり徳川慶喜が大政奉還をしたりと変化の激しい時代。

 

江戸幕府、そして武士社会という世の中の崩壊を予見していた継之助は、上の動乱が起こるよりはるか以前に、諸国漫遊の旅に出ていました。それは何も、遊びに行くために旅をしていたわけではなく、各地の知識人や身分の上の者に会い、世の中の動きを知ろうとしての行動でした。

 

当然、長崎にも立ち寄ります。そこで出会ったのが、エドワルド・スネルという異人の承認でした。これからは刀ではなく銃や機関砲の時代になると確信していた継之助はスネルから大量の武器弾薬を買い込み、それを自藩でも製造できる体制を整えます。

 

そして、長岡藩を日本という国から独立させ、長岡国ともいうべき国にも似た独立政権を確立するために、継之助は次々に改革を打ち出していきます。

 

しかしそんな継之助の努力のは裏腹に、時代は動乱を迎え、鳥羽伏見の戦いを始めとする戊辰戦争へと発展していきました。そんな日本国内の流れに、継之助の理想は流され、長岡藩も戦争へと舵を切らざるをえなくなりました。

 

上巻では主に、継之助が諸国を旅し、知識人や異人たちと交流する様子が描かれています。そこには、彼が師と仰いだ山田方谷などの人物も登場します。

 

そして中巻では、上巻での遍歴を経て、藩内で政治を行う立場を手に入れていきました。そこで、継之助は様々な政治的改革を断行していきます。その内容がどんなものだったのか、それは実際に読んでみて欲しいのですが、その一部としてここでは一つ、ご紹介します。

 

彼が行った政治改革の一つ。それは娼館の廃止と通うことの禁止でした。どうしてこれを取り上げたのかというと、継之助という男は誰よりも妓楼に通うことが好きな男だったからです。

 

そんな男が、自分の趣味である女郎買いを禁止する。これほど一見すると滑稽なこともないでしょう。当然、これには藩民や藩士も困惑していた様子でした。

 

そして下巻では、上記の改革に加えて江戸にある長岡藩持ちの家屋。そして藩内から、売れる物があれば徹底的に売却していきました。そして大量の金貨を作り、それをもって兵糧(食料)や銃、大砲、機関砲などを買い集めて国力の増大に力を入れていきました。

 

そして訪れた戊辰戦争。しかしここで、長岡藩は極力戦闘には参加せず、中立の立場を取ろうとします。どちらかに組すれば、時代のうねりに飲まれ、いずれにせよ彼の理想としたような形での長岡藩の存続はないだろうと思ってたからです。

 

継之助は戦争反対派の人間でした。けれど、現実問題として発言力を手に入れるためには武力、戦力が必須であり、それがあればこそ幕軍、官軍は小藩である長岡の話に耳を傾けてくれると思っていたのです。

 

実際、それは後少しのところまで成功しています。その具体的な内容は本編を読んで欲しいのですが、もう少しと言うところで会津藩が余計なことをしたために継之助の作戦は水泡となりました。

 

そして時代の渦潮の中に飲み込まれていった継之助の長岡藩は、戦争に大敗します。

 

後半にこんな一言が登場します。

 

「おれが家老になったのは、こういうつもりではなかった」

 

これは継之助が戦争で死んだ孫の体を清めていた老人と出会った時に、継之助が老人に呟いた言葉です。

 

事実、継之助は長岡藩を富ませ強国にするつもりはあっても、実際に戦争をしたりするつもりはありませんでした。

 

しかし時代に抗えず、時勢を背負ってくる官軍を相手に勝ち目の薄い戦をし、守るべき民を苦しめてしまった。「おれが家老になったのは~」というセリフは、その悔しさ、口惜しさから出てきた言葉でもあったかもしれません。

 

新時代の到来をいち早く気づき、自藩を守らんとした男は、しかしそれが叶わなかったのです。武士として、男子としてこれほど悔しいことはないでしょう。

 

継之助の最期は、被弾した敵の弾丸が原因でした。従者の松蔵に頼み、彼は従者の松蔵の手によって葬られたのです。

 

そして、時代は巡り、明治時代がやってくるのでした。

 

さて、いかがだったでしょうか。時代の先を見据え、行動していった男の結末。それは筆舌に尽くしがたいものがあります。

 

継之助のように具体的な行動を取っても、あるいは何も残らないかもしれない。それでも、彼のように何かを成さんと行動し続けたいものです。

 

もし、この記事を読んで興味を持ってもらえた、という方がいましたら、最後にAmazonのリンクを張っておきますのでそちらからぜひ、ご購入下さい。

 

それではまた、次回お会いしましょう。さよなら。


スポンサードリンク